大インパクト編

流血の秘密基地(小5)



 僕が育った町は田舎だったため、まわりに自然は沢山あったし、小学生・中学生がジャージ姿で登下校するのはむしろ当たり前であった。小学5年生で秘密基地作りとはなんて幼稚な、と思う人もいるかも知れないが、当時の大宮町は例えば映画を見ようと思ったら電車(実はディーゼル車)に40分揺られて水戸市まで行く必要があった、そもそも3階建て以上の学校以外の建物が珍しかった。映画館は今も無いけれど。そんな田舎町で恥ずかしいという感性を磨くのは結構大変である。

 もちろん秘密基地を作れるような場所はたくさんあったし、今までにも何度か作ったことはあったけれど、小学5年生の知恵と体力を持ってすれば、今までみたいなイシコイ(ここではチンケなという意味)ものでなく、本格的な秘密基地が作れるだろうと僕らは考えていた。日曜の午前10時?からフジテレビで放映していた「マリン組」(漢字忘れた)にも影響されていただろう。

 季節は秋だった。道路脇や点在する野原では雑草が茶色く化けていた。僕ら6人のメンバーは、学校からは離れているけれどメンバーの家が一番集まっている地区の雑木林の中に入っていった。雑木林は沢山あるけれど、道具を運んだり食料を買いに行ったりするのに便利でなくちゃ困る。その点でこの場所は立地条件が良いばかりでなく、林の周りには背丈ほどの雑草が生い茂っていて、かつ中央付近にはそのお化け雑草が刈り取られてあり秘密基地建設にはうってつけだった。

 まず僕らは完成予定図を元に、丁度良いくらいの太さと長さの古い木材をいくつか集め、それを支柱にしてインディアンのテントの骨組みみたいなものを作った。しかし、資金がいくらもなかった僕らは、近くに捨ててあった藁を束ねて骨組みに縛りつけただけで済ましたので、結果としてはこの時期に畑でよくやる、ただ単に藁を乾燥させる、その行為であった。

 僕らは分担が決まっていて、でも何で僕は釘を木に打っていたのか忘れてしまったのだが、とにかく僕はトンカチを片手にトンカントンカン勢いよくやっていた。

 すると、・・・

 木材には、今その節目から湧き出てきたかのように赤い斑点がいくつも付いている。

 そればかりではなく、赤い斑点はさらにその数を増しているではないか。

(何だろう? この赤は。)

僕は自分の背中に冷気を感じ、体には悪寒にも似た緊張が走って、急にひざが頼りないかまたは上半身が重いかのように感じた。

 友達の一人がこちらに気付いたらしく、何かを叫んでいる。

 僕は何が起きているのか分からず、ただ目の前に赤い滴が集まり、赤い液体となって、吸収されながらも乾いた木面の上に小さな流れをなしている。

 僕は立ち上がってみて自分の両手を見つめ、やっと訳が分かって気持ち悪くなった。

 僕の使っていたトンカチは、その頭の反対側にくぎ抜きが付いていた。

 猫背だった僕は、トンカチで釘を打つたびに、トンカチのくぎ抜きの部分を自分の額に差し込んでいたのだった。

何時の間にか秘密基地は忘れ去られてしまうのだった。

 もちろん僕もその後は秘密基地建設には手を出してない。

 ただ一つあったことは、

 しばらくして額の傷が治りかけるころ、僕は一昔前のことを思い出していた。

 小学3年生の頃、昆虫採集セットを買ってもらって多いに喜びはしゃいだ僕は、すぐさまカブトムシを飼育箱の中から取り出し、裏返したそのお腹に殺虫剤 兼 防腐剤を注射しようとしていた。しかし、注射針を腹面に垂直に差し込んだ僕は、カブトムシを貫いて自分の手の平にぶち込んでしまった。そして、心許ない母の友人は、「病院に行かないと死んでしまうかも知れないぞ」と僕に必要以上の訓戒を与えてくれたのだった。絶対そのせいだと思うが、僕は昆虫好きの人間であったにも関わらず、昆虫採集を趣味とすることはなかった。



神長ですけど。



 僕がまだ学群一年生だった頃、

 「神長ですけど〜。」

 という文句がやたらと流行っていた。

 無邪気な友人どもは、会うたびに僕に向かって一言、

 「神長ですけど〜。」

 と、挨拶をする。

 初めは何がそんなに面白いのかさっぱり分からず、僕は不機嫌だったが、理由を聞いてやっと納得がいった。
 僕は一年のとき宿舎に住んでいたが、僕が電話に出る時はいつも、

 「カミガですけど〜。」

 と、言ってしまっていたらしい。

 ある人はバカ丁寧にも解説をしてくれて、

 「普通は(カミナガ)という文字の発音をすると”カ”が一番強くなるはずなのに、カミの発音は”ナ”が一番強いんだよ〜。」

 そういうこいつも、僕のことをカミナガと呼ぶのに”ナ”が一番強い。
 もう1人相づちを打って、

 「いやいや、全体的に発音がおかしいけどね。」

 さらに他の人が口を出して、

 「茨城に住んでる人って、(言葉の)最後が上がるよね〜。」

  これは僕にとって相当shockだった。何分、入学したての頃の話でまだはっきり確定した友達もいなく、愚痴をこぼそうにも話を聞いてるそいつも笑うだろうからはけ口がない。自分のなまりについては、高校時代から、直さないとまずいんじゃあないかと気にはしていたが、その発覚があまりにも唐突に、しかも自分がまったく予期していなかった形でやってきたのだった。

 とりあえず、対策を考えるべく1人で発音を検証してみた。

 カミガですけど〜。」

 宿舎の自分の部屋に対策本部を設置していたから誰にも聞かれる心配はない。
 そしてやはり発音がおかしいのかも知れない。

 次に、僕以外の人が普通の発音と考えているらしいカミナガの発音をやってみる。
 でも出来ない。
 ”カ”を発音しようとしてみるとどうしても不自然な言い方になってしまうのだった。

 「カ!ミナガ」

 怒ってるみたいだ。

 「ミナガ」

  気持ち悪い。というより、そもそも奴等はこれが普通の発音と主張していたが、本当にその発音で正しいのか確信を持ってた奴は1人もいなかったではないか。
 しばらくやっていたら面倒臭くなってきたので、とりあえず電話に出るときは「もしもし」と答えることにした。

 それから二ヶ月くらいして、みんなもうそろそろ熱が冷めてきたかと思われるころ(後で理由が分かったが何故かロングヒットだった)、またある人はこんなことを言い出した。
 「『カミガ』っていつも発音していたら、普通の言い方ができなくなってきた。」

 いいことなのかも知れない。

 他の人に自分の言い方を真似されるのはしゃくだが、みんな同じ言い方をするなら自分も気にする必要はないはずである。

 しかし、気になることが一つあった。結局このネタはその後二ヶ月くらい続いたのである。ただ続くのだったら普通のことのような気がするが、何故か新しく言い始める人が増えているのである。
 これはおかしい。
 学園祭で一緒に模擬店を出す関係で、最近知り合ったばかりの女の子が「神長ですけど」を知っていることに驚いた。
 誰かこのネタを、まだ知らない人にばらまいている奴がいるに違いない。

 そいつは割と早く僕の目の前に現われた。
 いまでこそ同じアパートの3DKに同居しているが、その頃はまだお互いにあまり知り合いではなかった寺田J平その人だった。
 ほかにもネタをまいていた奴はいるのだろうが、とりあえず彼に標準をしぼった。
 以来、僕は彼に対しては、いじられる前にいじるように心がけている。

 ちなみに現在僕の近辺で(研究室の人を除く)、普通の発音と思われる神長で僕を呼ぶ人はあまりいない。



嗚呼、天中殺。



 天中殺という言葉を皆さんは知っているだろうか。人には10年毎に2年間、運気の悪い時期がやってくるという算命学の考えで、その年を天中殺というのである。詳しいことはここでは省く。また、この話は自然学類誌「ナチュれ!」の創刊号に他の記事を書いたときに部分的に掲載したことがあります。

 さて、話を始めよう。このページにもう何度か出てくる人物だが、横浜にある僕の友人の寺田J平の実家に泊りに行ったときのことだった。もともと上記の自然学類誌の企画物の記事として、中華街MAPを作るという目的のために横浜は中華街に来たのだった。そこに訪れる前から、多少感傷的な気分に支配されているような僕であったが、中華街で見つけた占い屋を見て、ここは一つ占いでもみてもらって気分転換にでもなればよいと思ったのだった。

 僕とJ平は手相を占ってもらうことにした。まず初めにJ平が観てもらったのだが、彼はなかなか良さそうなことを言われていた。ただ、去年と今年は天中殺であまり物事はうまく進まないから、十分気を付けるように、今年いっぱいが過ぎれば、後は運気は回復に向かいますとのことだった。彼の誕生日は昭和55年の2月4日で、僕の誕生日は同じく昭和55年の2月2日だったから、僕も同じく今年いっぱいまで天中殺なのだろうと、このくらいはすぐ察してはいたが、僕は彼の場合とは違ってぼろくそに言われてしまった。

 まず、占い師は僕の手の平を観て、異性運がいま非常に悪いということを言った。面倒が掛かる女性を好きになってしまって振り回されるとかなんとか。でもそれを聞いても僕はまだ割と平静だった。shockだったのはこの後である。

 「…あなた遊んでますか?」 { 占い師 }

 「…え?」 (何を言っているんだろう、この人は){ 僕 }

 「あなた、遊んでますよね。」 { 占い師 }

 「えっ!  そ、それはどういう意味で?」 { 僕 }

 まさかとは思ったが、この女占い師は僕が女遊びをしているのではないかと聞きたかったらしいんのである。僕の心は一気にブルーに染められた。確かに思い当たる節はあるが、別にそんなつもりじゃなかった。むしろその気があったなら今ごろもっとうまくやっているわいくらいに僕は考えていた。

 「別にそんなことはないですけど。」

 その後、この女占い師に何を言われたかはもう忘れてしまった。僕としてはさっきの瞬間から頭が感情に支配されてしまったので、それからの話はあまり聞いていなかったのである。覚えてはないが、恋愛は慎重にしろとかそんな内容であったかもしれない。



 次の日。僕らは新たに合流した後輩と一緒に鎌倉の由比ガ浜と鶴ヶ岡八幡宮を見に行った。その日はあまりに暑い日で、由比ガ浜に行く途中にあったローソンに涼みに立ち寄ったとき、そこにあったチケットの予約や商品の注文等が出来るブースを何気なくいじってみる気になった。画面に動物占いの文字を発見した僕は、昨日の手相の内容を少しは挽回出来るかと思い、自分の名前等をタッチパネルで入力した。



 1980年2月2日生まれのあなた

 あなたの動物  : チーター
 あなたの恋愛パターン  : 速断、速決、即行動



 (まさか恋愛に関する占いだったなんて。)

 ローソンのブースで出来る動物占いの内容が恋愛パターンのみについてだったことが、また一段と僕の心に傷を付けた。何よりも、昨日手相を観てもらってぼろくそに言われたあとに、この占い結果は厳しかった。
 何よりもこの結果はピタリと当たっている。それがまたショックだった。

 その下にも軽い説明文が書いてはあったが、読む気はしなかった。熱気がむんむんと立ち込める路上を歩いている時も、僕はこの件を気持ちの上で処理しようと頑張っていた。ちょうどそんなときであったから、不意打ちでJ平が解き放ったギャグは笑えた。

 「波の打ち寄せる音が聞こえるね〜。」 

 「ばっちゃ〜ん、じっちゃ〜ん。」 { J平 }

 そんなこんなで八幡宮に着いた僕らは、さっそく御神籤(オミクジ)を引いてみた。僕のクジの恋愛欄のところにはこう記してあった。

 『反省しましょう。』

 僕のこころにブルーの風が吹き荒れる。

 今思えば、その年の初めに筑波山神社で引いた初御神籤には、恋愛運のところにこう記してあった。

 『今年はおとなしくしていましょう。』


 月日が過ぎ、天中殺を終えた僕は、やっと落ち着いた学生生活を過ごしている。

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