平成9年度の研究活動

(1)160A GeV の鉛・鉛衝突における研究

  相対論的高エネルギー重イオン衝突は、物質の極限的な高温高密度状態を実験室において作り出す唯一の方法である。我々は、重イオン衝突において発生する様々な粒子の系統的測定を行うことによって、高温高密度物質の性質を探る研究を進めている。なかでも生成粒子の集団的運動の観測は、重イオン衝突で発生した高温高密度状態における状態方程式の情報を得る手がかりになると考えられている。高エネルギー重イオン衝突の反応中心部では生成粒子の平均自由行程は反応領域に比べて十分短く、流体力学的解釈が有効となると期待される。この立場によると、衝突で生成された高密度状態から粒子は圧力勾配最大の方向に放出され、集団的運動(Collective Flow)が生まれるとされる。このような集団運動の観測からは、反応初期に生成された高密度状態の状態方程式に関する情報を得ることが可能となると提唱されている。
  特に、クォークグルオンプラズマ(QGP)相転移が発生した場合には、相転移に伴う状態方程式の劇的な変化のために圧力勾配の低下が起こり、Collective Flowの強度の低下が起こると予言されている。最近、160 A GeV の鉛・鉛衝突において、J/Ψ粒子生成に異常な振る舞いが観測され、QGP生成による抑制効果ではないかと注目をされている。このことから、現在最高エネルギーである160 A GeV の鉛・鉛衝突における集団運動がどのような強度を持つのかが重要な課題となっている。我々は、他の実験グループに先駆けて、CERN(欧州原子核研究機構)におけるWA98実験より、集団的運動の解析からCollective FlowのひとつであるDirected Flowを観測することに成功し、平成9年3月にインドで開催されたICPA-QGP97の国際会議で初めて報告を行った。この報告は、大きな反響を得るところとなり、他の実験グループにおいても、同効果の追試・確認が行われつつある。
  平成9年12月には本研究分野で最も権威のある第13回相対論的原子核・原子核衝突国際会議(”クォーク物質97”)を筑波大学大学会館で開催した。従前は、ヨーロッパと米国を開催地として開かれていたが、今回初めてのアジア開催地として筑波が選択された。我々は、集団的運動を初めとする解析結果を報告し高い評価を受けた。

a)CERNーWA98実験

  我々はCERNのSPS加速器を用いたWA98国際共同実験を推進している。この実験はクォークグルオンプラズマを観測し、その性質を研究するために、右図に示すような正/負電荷粒子スペクトロメーターと光子測定器を中心とする実験装置を建設し、測定を行ってきた。160 A GeV の鉛・鉛衝突に於ける測定を1996年秋までに完了し、現在はデータ解析の段階に入っている。                       筑波大学のグループは、高時間分解能ビームチェレンコフ・カウンター、正電荷粒子スペクトロメーターの高分解能飛行時間測定器・飛跡検出器などの建設を分担した。解析段階ではOrigin2000を中心とする計算機群を駆使して、粒子識別、飛跡解析を担当し、物理解析においては、1粒子包括測定、集団運動解析、デルタ粒子解析において中心的役割を果たしている。

CERN-WA98実験

b)Directed Flow 解析

  2 A GeVの高エネルギー重イオン衝突において初めて集団的運動が観測されて以来、数十 A MeV から数 A GeV 領域まで広いエネルギー領域で測定され、観測方法、解析方法についても整備されてきた。通常、横運動量成分に注目して、方位角(φ)分布を求めフーリエ解析から、Collective Flowの分類が行われる。フーリエ展開した第1次成分(∝ cos φ)を Directed Flow と呼ぶ。また、Directed Flow の方位角から、衝突の反応面が各事象において決定される。

 Collective Flow 解析に於ける方位角度分布。


  このDirected Flow が最も顕著に現れると期待される標的核領域において、観測された陽子を無作為抽出により2つのグループに分類し、それぞれのグループに於ける陽子の横運動量和を求めた。そして、それぞれの横運動量ベクトルの方位角の差を図示したものが上図である。原子核・原子核衝突の衝突係数を測定するために、本実験では衝突で発生するパイ中間子の生成総量をカロリメーターによって、同時計測を行っており、その解析からa)は非中心衝突、b)は中心衝突における結果を示す。なお、検出器の影響を評価し、真の相関を見るために異なる衝突事象を用いた較正点を白抜きの四角点で示している。明らかに、非中心衝突では真の強い相関が見られ、陽子は同一の方位角方向に放出される傾向が明らかである。さらに、中心衝突では効果が消失する傾向が観測された。

Directed Flow 強度の衝突係数依存性。

  この強度を衝突係数の関数として示したものが上図である。中心衝突から衝突係数が大きくなると共に、 Directed Flow の強度が増加し、衝突係数が9fm付近で最大を示し、周辺衝突では再び消失するという実験結果が得られた。これらの振る舞いは、流体力学的予測と一致している。
  同様の解析を陽子群とパイ中間子群との間で行ったところ、パイ中間子は陽子と反対の方向に放出される傾向が観測された。そして、周辺衝突では、その傾向が増すことがわかった。この傾向は標的核破砕片によるパイ中間子の吸収模型による計算と定量的にもほぼ一致する。
  衝突係数が9fm付近の非中心衝突について、さらに解析を進め、横運動量を各事象で決定された反応面に投影し、その平均値(< px >)をラピディティの関数として示したのが右図である。標的核(入射核)領域において< px >は最大を示し、中央領域(Mid-rapidity)において小さな値を示している。これらの様相は、10 A GeVまでの重イオン衝突で観測されていたものと酷似している。しかしながら、その強度は陽子の< px >の最大値において10A GeVまでの重イオン衝突で観測された強度の約半分であることがわかった。この結果の重要性を検討するために、重イオン衝突模型として、現在最も信頼されているRQMD(Relativistic QUantum Molecular Dynamics)模型を用いて両データの比較検討を行っている。RQMD模型による計算では10AGeVの結果を良く再現するが、同一条件の計算では160 A GeV の鉛・鉛衝突の観測結果より大きな値を示すことがわかった。この効果が、鉛・鉛衝突で観測されたJ/Ψ粒子の振る舞いの異常に相当するQGP生成による圧力勾配の低下によるものかどうか、今後の慎重な検討が必要である。

Directed Flow 強度のラピディティ依存性。


c)デルタ粒子の観測

  高エネルギー重イオン衝突では、その素過程である核子・核子衝突がパイ中間子などの2次粒子の生成に要する時間より短時間の間に連続的に起こるために、核子の励起状態の取り扱いが必須である事が知られている。核子の最も低い励起状態であるデルタ粒子の観測は、これらの重イオン衝突に特有の問題に直接関わる観測として重要であると考えられている。我々は、現在最高エネルギーである160 A GeV の鉛・鉛衝突において初めてデルタ粒子の観測に成功した。 パイ中間子と陽子の同時測定により不変質量分布を求め、デルタ粒子起源以外の成分を差し引くことによってデルタ粒子に相当するピークが観測された。収量の決定のための解析が進められている。

パイ中間子と陽子の不変質量分布。   


(2)相対論的重イオン衝突型加速器におけるPHENIX実験

  米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)において、相対論的重イオン衝突型加速器(RHIC)の建設が進められており、平成11年から、その運転が開始される。この実験の中心目標の一つは、QGPを作り出し、その性質を調べることである。QGP生成の証拠とするには高エネルギー重イオン衝突の反応の正確な知識が必要となるが、これらの衝突で考えられる反応は非常に複雑で現在の知識では、正確に予測することが難しい。種々の高エネルギー重イオン反応模型や導入パラメーター値に依存しないで、QGP生成の直接的実験証拠を得るためにはビームエネルギーに関して相転移臨界前後の大きな変化を捉えるなどの系統的測定が有効である。そこで、我々は反応中心部において生成されるパイ中間子、K中間子、陽子など実験的に明確に粒子識別されたハドロンの系統的測定を様々なエネルギー、(i)核子あたり11GeV、(ii)核子あたり160GeV、(iii)衝突型加速器における100GeV+100GeV、の3つのビームエネルギーにおいて系統的に収集し、QGP生成を理解するために必要な反応機構の基礎的知見を得る目的のもとに測定を進めてきた。平成11年度から開始される(iii)の測定により、完結する予定である。
  CERNーWA98実験における160 A GeV の鉛・鉛衝突は、RHIC実験よりも衝突のエネルギーは低いが、静止標的を用いた実験であるために、相対論的効果により発生粒子は実験室系において前方の狭い角度範囲に集中して放出される。このため、実験室系においては、より高エネルギーの衝突型加速器RHICとほぼ同程度の粒子密度となっている。高粒子密度下において飛行時間測定器が設計通りの85ピコ秒以下の時間分解能が得られ、下図に示すようにハドロンの粒子識別に十分な性能を発揮することが実証することができた。
  当初計画通りに、本飛行時間測定器を米国ブルックヘブン国立研究所のPHENIX実験に搬入し、設置作業を進めている。大学院生2名と助手1名がBNLに常駐し、設置作業を進めている。平成10年度中に設置作業を完了し、レーザー等を用いた試験を段階的に開始する。


  CERN-WA98実験における粒子識別。     PHENIX実験のセットアップ

 

 平成9年度の学位取得者

研究科
氏名
題目
学位
物理学
清道明男

PHENIX実験におけるハドロン測定のためのコンピューター・シミュレーション。
Computer simulation for hadron measurement at PHENIX experiment

修士(物理学)
物理学
浦沢幸子

PHENIX実験の飛行時間測定器のための時間較正システムの開発。
Timing calibration system for Time-of flight detector at PHENIX

修士(物理学)
理工学
横田幸郎

核子あたり158GeV鉛・鉛衝突におけるφ中間子生成。
φmeson production in Pb+Pb collisions at 158 A GeV

修士(理学)
理工学
三浦大輔

高多重度環境下におけるPHENIX実験飛行時間測定器の性能評価。
Response of PHENIX time-of flight detector at high multiplicity

修士(理学)
理工学
石橋達平

高エネルギー重イオン衝突におけるハドロンの横運動量分布。(Fire Ball重ね合わせ模型との比較)
Transverse momentum distribution in high energy heavy ion collisions

修士(理学)

国際会議における講演

氏名

講演題目

国際会議名

開催地

西村俊二

Directed Flow Analysis in Pb+Pb Collisions at 158 GeV per nucleon

3rd International Conference on Physics and Astrophysics of Quark-Gluon Plasma, ICPAQGP' 97

Jaipur, India

倉田美月

Evidence of Directed Flow at CERN-SPS energy from WA98 experiment

3rd International Conference on Physics and Astrophysics of Quark-Gluon Plasma, ICPAQGP' 97

Jaipur, India

三明康郎

Particle production and flow at AGS and SPS

YITP international workshop

June 9 -11, 1997,Kyoto, Japan

西村俊二

Collective Flow in 158AGeV Pb+Pb Collisions

13th international conference on Ultra-relativistic Nucleus-Nucleus Collisions; QM97

December 1-5, 1997, Tsukuba, Japan.

佐甲博之

Centrality and collision system dependence of antiproton production from p+A to Au+Au collisions at AGS energies

13th international conference on Ultra-relativistic Nucleus-Nucleus Collisions; QM97

December 1-5, 1997, Tsukuba, Japan.

日本物理学会における講演

学会

種目

講演題目

氏名

平成9年秋の物理学会

一般講演

Testing of the front-end electronics with analogue pipeline readout for PHENIX time-of-flight counters

絵野沢和彦、中條達也、樋口理子、加藤純雄、佐藤進、倉田美月、栗田和好、三明康郎、宮本祐子、西村俊二、八木浩輔、他

平成9年秋の物理学会

一般講演

AGSエネルギー領域に於けるハドロン生成のビームエネルギー依存性

中條達也、林祥子、加藤純雄、熊谷荒太、栗田和好、三明康郎、佐甲博之、八木浩輔、他

平成10年春の物理学会

一般講演

PHENIX飛行時間測定器較正レーザーシステムの開発

石橋達平、稲葉基、浦沢幸子、絵野沢和彦、加藤純雄、清道明男、倉田美月、栗田和好、佐甲博之、佐藤進、島田知弘、中條達也、西村俊二、林寛、樋口理子、平野太一、三明康郎、三浦大輔、宮本祐子、八木浩輔、横田幸郎

平成10年春の物理学会

一般講演

Observation of Directed and Elliptic Flow at CERN-WA98 in 158 A GeV Pb + Pb Collisions (I)

倉田美月、絵野沢和彦、加藤純雄、栗田和好、佐甲博之、佐藤進、中條達也、西村俊二、三明康郎、三浦大輔、宮本祐子、八木浩輔、横田幸郎、他

平成10年春の物理学会

一般講演

Observation of Directed and Elliptic Flow at CERN-WA98 in 158 A GeV Pb + Pb Collisions (II)

西村俊二、絵野沢和彦、加藤純雄、倉田美月、栗田和好、佐甲博之、佐藤進、中條達也、三明康郎、三浦大輔、宮本祐子、八木浩輔、横田幸郎、他

平成10年春の物理学会

一般講演

Measurement of Delta++ at CERN-WA98 in 158 A GeV Pb + Pb Collisions

佐藤進、絵野沢和彦、加藤純雄、倉田美月、栗田和好、佐甲博之、中條達也、西村俊二、三明康郎、三浦大輔、宮本祐子、八木浩輔、横田幸郎、他

平成10年春の物理学会

一般講演

Measurement of phi -> K+K- in 158 A GeV Pb + Pb collisions from CERN-SPS-WA98 experiment.

絵野沢和彦、加藤純雄、倉田美月、栗田和好、佐甲博之、佐藤進、中條達也、西村俊二、三明康郎、三浦大輔、宮本祐子、八木浩輔、横田幸郎、他

高エネルギー原子核実験グループメンバー表

身分

教官

三明康郎(教授)
西村俊二(助手)
佐甲博之(助手)

物理学研究科5年

佐藤進
倉田美月

物理学研究科4年

絵野澤和彦

物理学研究科3年

中條達也
樋口理子
宮本祐子

物理学研究科2年

清道明男
浦沢幸子

物理学研究科1年

平野太一
島田知弘

理工学研究科2年

横田幸郎
三浦大輔
石橋達平

理工学研究科1年

稲葉基
林寛

自然学類4年

鈴木美和子
小関国夫
瀬古浩嗣
吉川剛史