高エネルギー原子核実験(三明康郎、江角晋一、加藤純雄)

(1) √sNN=200$GeVの金・金衝突のπ中間子、K中間子、陽子の 楕円的方位角異方性の測定

高エネルギー原子核衝突実験において、主要な解析テーマの一つに粒子放出に おける方位角異方性の解析がある。粒子放出における方位角異方性とは、 衝突により生成された粒子が衝突後期の運動量空間において方位角方向に 非一様に放出される現象をいい、これは初期の衝突領域における空間的 異方性に起因していると考えられている。このことは粒子放出における 方位角異方性が直接的な衝突初期の情報を担うことを意味し、 したがってクォーク、グルーオン、プラズマ(QGP)生成の有無を議論する 上で非常に重要な解析テーマであり、理論的な見地からも様々なQGP生成 との関係が予言されている。

粒子放出における方位角異方性は以下のような式で与えられる。

ここでφは放出粒子の方位角、ψは反応面の方位角を表す。 反応面とは衝突する原子核の中心間の向きとビーム軸の向きがなす面をいう。 上式において第1項目以降が粒子放出における方位角異方性を表す。 第1項目は一方向に指向的な粒子の広がりを表し、第2項目が楕円的な粒子の 広がりを表す。各項の係数vが方位角異方性の強度を表し、異方性の 強度が大きいほど反応面方向に粒子が放出されたことを表す。

高エネルギー原子核衝突実験を記述するモデルのひとつである流体力学 モデルによれば、方位角異方性の中で楕円的な広がりをもつ方位角異方性の 強度の横運動量依存性は、質量の軽い粒子ほど大きくなることが予想されて いる[1]。本研究では2001年にRHIC-PHENIXでおこなわれた核子対 当たり100GeVの金・金衝突のデータをもちい、衝突によって生成される パイ中間子、K中間子、陽子の放出において特に楕円的な広がりをもつ 方位角異方性についての解析をおこない、モデルとの比較をおこなった。 結果を図1に示す。横運動量が2.0GeV/c以下では 楕円的異方性の強度は、同じ横運動量で比べると質量の軽い粒子ほど 大きい、、という結果が 得られた。しかし横運動量が2.0GeV/c以上で、π中間子やK中間子の 楕円的方位角異方性の強度が飽和し、陽子の楕円的異方性の強度が π中間子、K中間子よりも大きくなるという結果が得られた[2]。 この2.0GeV/c以下の結果は流体力学モデルが予想と一致するが、 2.0GeV/c以上の結果は、各粒子とも運動量とともに楕円的方位角異方性の 強度が増加する流体力学モデルとは明らかに異なる (図1左下図)。 この振る舞いは、クォークの楕円的方位角異方性によって、ハドロンの 楕円的方位角異方性が決まるというquark coalescence model [3] により、定性的に説明される(図1右下図)。 このことから、ハドロンの楕円的方位角異方性がクォークの楕円的 方位角異方性に起因しており、QGP相を反映している可能性を示唆して いると考えられる。今後、π中間子、K中間子、陽子以外のハドロンの 楕円的方位角異方性の測定やさらに高い運動量での測定をおこなうこと により楕円的方位角異方性の起源を明らかにすることが期待されている。


図1;π中間子、K中間子、陽子の楕円的方位角異方性の横運動量依存性[2]。 左上に負の電荷を持った粒子を、右上に正の電荷を持った粒子を示す。左下は 正負の平均と、流体力学モデルの比較をしたもの。右下は及び、 横運動量をクォーク数で規格化し、quark coalescence modelを検証したもの。

(2) RHIC金・金衝突における高横運動量荷電粒子の楕円的方位角異方性

QGP生成の証拠として様々なシグナルがあるが、そのうち最近特に注目を 浴びている現象の1つに生成粒子の楕円的方位角異方性がある。これは、 ビーム軸方向に垂直な平面(反応平面)内における生成粒子の運動量分布が 非一様になる現象である。この方位角異方性を定量的に評価するために、 生成粒子の方位角分布をフーリエ級数で展開した次の式が 良く用いられる。
φは反応平面に対する生成粒子の方位角で、 (n=1,2,...)が方位角 異方性の強度を表し、今注目している楕円的方位角異方性は2次の項である。 この現象は非中心衝突の場合に起こる現象で、 反応関与部の反応平面内での初期の幾何学的な非一様性に起因している。 2001年にはM. Gyulassyらによって、高横運動量領域のは 初期のグルーオン密度と幾何学的な形状に大きく依存するという報告がなされた [4]。RHICエネルギーでは、高横運動量ハドロンは初期の ハードな散乱によるジェットが支配的であると考えられている。本来ジェットは 反応平面とは無関係に生成されるので、高横運動量では= 0となるはずである。 しかしながら、QGPのような高温・高密度な物質が衝突初期に生成されると、 その物質中を通過するジェットはグルーオンを放出しエネルギー損失を起こす (Jet Quench効果)。このJet Quench効果と衝突初期の幾何学的な非等方性が 高横運動量の有限なを生み出すと考えられている。 このように衝突初期の状態に敏感な楕円的方位角異方性を測定することは、 QGPの性質を理解する上で非常に重要であると考えられる。

我々は2001年、2002年にRHIC-PHENIXで行われた核子対当たり100 GeVの 金・金衝突実験で収集されたデータを基に解析を行った。 反応平面はビーム軸上の衝突点から約1.5mの位置にあるBeam Beam Counter (BBC)を用いた。BBCで決定した反応平面に対して、central armスペクトロメーター で検出した荷電ハドロンの方位角を測定し、楕円的方位角異方性の強度を求めた。 BBCとcentral armスペクトロメーターはrapidityで約3単位離れている。したがって、 反応平面決定にBBCを用いることで、反応平面とは無関係に異方性を作り出す、 HBT相関や粒子の崩壊等の寄与を減らすことができると考えられる。 解析の結果、横運動量9 GeV/cまでの荷電ハドロンの楕円的方位角異方性 ()を 測定した(図2参照)。は横運動量約2.5 GeV/cまでは、流体力学 模型による予想のように増加するが、2.5 GeV/cよりも大きな横運動量では 飽和する傾向が見られた。この結果は、M.Gyulassyらが予想したJet Quench効果による の振舞と定性的に一致することが分かった。 この結果は、RHICエネルギーでの原子核同士の衝突では、衝突初期に非常に 高温・高密度の物質が生成されていることを示唆していると思われる。

図2;縦軸が楕円的方位角異方性の強度()、横軸は横運動量 [GeV/c]。 解析結果は白抜きの三角で示した。水色のバンドは系統誤差である。また、黒い実線 は流体力学模型による予想値、緑と紫と青の実線はJet Quench効果と流体計算を 組み合わせた模型による予想値[4]で、赤い実線はJet Quench効果が ないと仮定した場合のの予想値である。

(3)エアロジェルチェレンコフ検出器の開発

高エネルギー原子核衝突によるQGP探索が、RHIC-PHENIX実験で行われている。 高横運動量ハドロンの収量抑制などの新現象が観測され、さらに高い 横運動量領域での物理解析を進めるため、ハドロンの粒子識別能力の向上が 求められている。既存の検出器TOF、RICHの粒子識別能力を補完するため、 PHENIX測定器のアップグレード計画の一つとして、シリカエアロジェルを 放射体とする閾値型のチェレンコフ検出器(ACC)の開発・製作が筑波大学を 中心に、東大CNS、BNL(米国)、JINR(ロシア)の各グループと 協力して進められている。

ACCには、識別運動量領域の要請により、屈折率n=1.011のエアロジェルを 使用する。その低屈折率のためチェレンコフ光の発光量は非常に小さく、 集光率を効果的に上げるための工夫が必要となる。検出器開発研究を通じて、 発生したチェレンコフ光を効率よく集光し、かつ、荷電粒子の入射位置に 対して高い一様性を持つ検出器を追求した。

ACCプロトタイプを製作しKEK-PSにおいて、性能評価のためのテスト実験を 行った。反射鏡を用いて集光効率を高めるタイプや、エアロジェル放射体の 横に散乱空気糟を設けて集光量の一様性を高めるタイプなどを系統的に調 べた。プロトタイプは、チェレンコフ放射のはっきりとした閾値性と十分な 集光量及びS/N比を持つことを確認できた。粒子の入射位置に対して一様に、 光電子数にして約10個を観測した(n=1.011)。テスト結果を次のプロ トタイプにフィードバックしていくことで、検出器の最終的なデザイン (通称 Zolin3)に到達した。チェレンコフ光の指向性とエアロジェルの 散乱特性を考慮に入れ、光学モンテカルロシュミレーションと実験データ との比較により、設計パラメータの最適化を行った。

厚さ0.5mmのアルミニウムの薄板を、折り紙のように曲げることで容器を 形成し、その中にエアロジェルのスペースが確保される。一様な集光を得る ための散乱空気糟(Integration Sphere, 積分空間)がエアロジェルと 接している。荷電粒子の通過によってエアロジェル中で発生したチェレン コフ光は、エアロジェル中での散乱・吸収過程を経て、空気糟両側に配置 された二つの光電子増倍管で検出される(図3参照)。 このデザインの採用により、実際の実験環境において、検出器各セルを交互 に衝突点に対して逆向きに配置することで、デッドスペースのない一様な エアロジェル平面を衝突点に対して形成することが可能となる。

図3;集光量(2つのPMTからの和)の入射位置依存性 (2GeV/c, n=1.016)。荷電粒子がエアロジェル側から入る場合 をdownstream、散乱空気糟側からの場合をupstreamと表す。

エアロジェルからのチェレンコフ光のPMT到達時間の差と粒子入射位置との 間に、ある程度の相関があることが分かった。また、その時間特性を解析 することで、エアロジェルからの信号と他のソースからのバックグラウン ドを識別することも可能であると判明した。

2003年春(Run3)には、検出器プロトタイプ2セル (図4参照)を実際の実験環境であるPHENIX測定器に インストールした。陽子陽子衝突実験を通して、テストビームでは なく衝突データの収集に成功した。それらデータの初期の解析によれば、 KEKでのテストビームと同程度の集光量を得られることが分かった。 このことは、複数セルを製作し、PHENIX測定器にインストールする 全体計画の最終的な確認にもなっている。今後、具体的な機械設計、 カウンター製作、信号読み出し用エレクトロニクスの開発が進み、 2003年夏には順次エアロジェルチェレンコフ検出器がPHENIX測定器 にインストールされ、秋以降の衝突実験で運用が開始される予定である。

図4;エアロジェルチェレンコフ検出器プロトタイプ (Run3でインストール)。エアロジェルの容積は、 22 $\times$ 11 $\times$ 12 $cm^3$。二つの光電子増倍管 と較正用LEDが蓋に取り付けられている。

(4)エアロジェルチェレンコフ検出器の期待される性能

2000年のデータ解析から、横運動量分布を中心衝突と周辺衝突で比較すると 中心衝突では高横運動量成分が減少するという今までにない現象が観測 された。これは、QGP中のJetQuenchingではないかと考えられている。 JetQuenchingとは、高エネルギーのクォークやグルーオンがQGP中を 通過する際のエネルギー損失により、高エネルギーjetの生成が抑制 される現象のことである。これは、QGP生成のシグナルのひとつと 考えられている。そのため、QGP固有の現象を捉えるために 今後おこなわれるPHENIX検出器のアップグレードにおいて、 ハドロンの高横運動量領域における粒子識別能力を高めることが 重要となってくる。

RHIC-PHENIX実験では稼動中である飛行時間測定器(ToF)を用いて、 π中間子とK中間子の識別は約2.4GeVまで、K中間子と陽子の識別は 約5.0GeVまで可能である。また、リングイメージング・チェレンコフ 検出器(RICH)による、π中間子とK中間子の識別は約5GeV以上で 可能である。導入予定のエアロジェルチェレンコフ検出器(ACC) では、π中間子とK中間子の識別が約5.0GeVまで、K中間子と陽子 の識別が約9.0GeVまですることが出来る予定である。 (図5、左参照)図5右には、 エアロジェル検出器のシミュレーションの結果をを示す。縦軸に 検出器で観測されるチェレンコフ光子数を、横軸に粒子の運動量 を、各粒子毎に表示した。このシミュレーションでは、1.015の 屈折率を用いた。エアロジェル検出器でのチェレンコフ発光の 有無及び、粒子の運動量や軌跡に対応した閾値や、さらに屈折率 の低い(高いチェレンコフ発光の閾値を持つ)ガスチェレンコフ 検出器(RICH)及び、飛行時間検出器(TOF)から得られる情報を、 相補的に組み合わせることにより、PHENIX実験装置の長所である 粒子識別能力をさらに高い運動量領域に伸ばし、約10GeVまでの π中間子、K中間子、および陽子の識別が可能になる。これにより、 先に報告された、高横運動領域でのハドロンの抑制や、 方位角非等方性の飽和(又は減少)等が、粒子種によって どのように違うかを明確にする。さらには、高エネルギー 重イオン衝突初期に作られると考えられているクオーク、グルーオン、 プラズマ(QGP)の有無、及びその性質の理解がさらに深まる事 が期待される。

図5;π中間子、K中間子、陽子の識別の様子、(左)π/K識別、 及び、K/陽子識別が各々の検出器で可能な運動量領域。(右) 粒子種毎に、エアロジェル検出器で測定される光子数と運動量の 相関(n=1.015)。

現在、我々はエアロジェルチェレンコフ検出器設計のためのビームテスト をKEK-PSにおいて行い、エアロジェルチェレンコフ検出器の設計をほぼ 終えた。そして、PHENIX検出器に2個のプロトタイプのインストールを行い、 その評価を進めている。そして、平成15年度の夏には本格的にACCの インストールを行う予定である(図6参照)。 図6左は、エアロジェル検出器が、PHENIX実験装置 のどの部分に導入されるかを示しており、また図6 右は、導入されるエアロジェル検出器のセル構造を示す。

図6;(左)PHENIX検出器とエアロジェルチェレンコフ検出器の配置、(右)エアロジェル検出器の内部構造

参考文献

  • [1] P.Huovinen,P.H.Kolb,U.Heinz,P.V.Ruuskanen,S.A.Voloshin Phys.Lett.B503,58(2001)
  • [2] S.S. Adler, et al, (PHENIX Collaboration), nucl-ex/0305013
  • [3] D.Molnar and S.Voloshin, nucl-th/0302014
  • [4]M. Gyulassy, I. Vitev, X.N. Wang, Phys. Rev. Lett. 86, 2537 (2001).