研究概要(RHICの成果)

(1)クォーク・グルオンプラズマ状態

我々の宇宙を構成する素粒子(ハドロン)は、クォークとグルオンが閉じ込められた状態と考えられており、これらクォーク、グルオンの運動状態は量子色力学によって記述される。量子色力学の計算によれば、非常に高温高密度になると、閉じ込めから開放されて、クォークとグルオンのプラズマ状態(QGP)に相転移すると予測されている。ビッグバン宇宙の極めて初期には宇宙はQGP状態として存在し、その後相転移を起こしてハドロンが生成されたと考えられている。もし、この相転移が1次の相転移であるならば、その後の宇宙の進化に影響を与えたとも考えられている。物質の存在形態として全く未知なるQGPの研究は多くの分野を巻き込んだ研究課題となっている。

(2)高エネルギー重イオン衝突

  高エネルギー重イオン衝突では原子核が激しく衝突し、そのエネルギーが原子核程度の小さな空間領域に放出される。高エネルギー重イオン衝突は地上で高温高密度状態を作り出すユニークな方法である。高温高密度状態となった反応中心部では、通常の物質からQGP状態への相転移をひきおこすであろうと予測されている。量子色力学の数値計算によると、相転移の起こる臨界温度は150MeV程度と考えられており、相対論的高エネルギー重イオン衝突では、この臨界を超えると期待される。米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)のAGS加速器や欧州共同原子核研究機構(CERN)のSPS加速器では、高エネルギー重イオンビームの加速がつぎつぎに進められてきた。BNLでは86年より核子あたり15GeVのシリコンビーム、91年より10GeVの金の原子核ビームの加速が行われ、CERNでは86年より核子あたり200GeVの硫黄ビーム、94年より核子あたり160GeVの鉛ビームの加速が行われ、様々な実験が行われてきた。

(3)衝突型高エネルギー重イオン加速器(RHIC;Relativistic Heavy Ion Collider)

BNLでは世界初の衝突型高エネルギー重イオン加速器(RHIC; Relativistic Heavy Ion Collider)が2000年に完成した。これは相対論的エネルギーにまで加速された2本の原子核ビームが実験室で正面衝突を起こす衝突型の加速器である。RHICでは、2つの大型実験( PHENIX実験STAR実験 )と2つの小型実験( BRAHMS実験PHOBOS実験 )が行われている。

(4)RHICでQGP生成が見つかったか?

RHICにおける核子あたり100GeVの金原子核同士の衝突(√sNN=200GeV)において測定が開始され、生成粒子の数密度や横方向生成エネルギー密度から推定された衝突到達エネルギー密度として、約10GeV/fm3が得られた。このエネルギー密度は理論的に予測されているクォーク・グルオンプラズマ(QGP)の臨界温度を優に超えており、QGP状態の生成を十分に期待出来る値であることがわかった。クォーク・グルオンプラズマの生成を示唆するような、様々な興味深い実験結果が得られているが、主なものを以下にリストしてみよう。

(4−1)大きな方位角異方性

原子核は拡がりをもった存在であるため、原子核と原子核が衝突する場合、真正面から衝突を起こす場合(中心衝突と呼ぶ)と衝突の芯が少し互いにずれた衝突を起こす場合(非中心衝突)がある。中心衝突の場合は、ほとんどすべての核子(陽子や中性子)は反応に巻き込まれるが、非中心衝突を起こす場合、幾何学的にオーバーラップした部分の核子しか反応に巻き込まれない。非中心衝突において反応に巻き込まれる部分の形状はアーモンドのような形をしている。さて、このアーモンド形の反応領域から粒子が生成され、粒子が何回か衝突を繰り返した後に飛び出してくるばあい、生成される粒子はアーモンドの短軸方向に多く生成されが、長軸方向には粒子数が減少することが予想される。これが、生成粒子の方位角異方性であり、最初のアーモンド型の空間的異方性が生成粒子の運動量空間異方性に転換されてあらわれる。その強度は、粒子の衝突回数で決まる。もし、1回も衝突しないで出てくるようであれば、異方性はゼロとなる。

方位角異方性の強度を測ったところ、SPS加速器における強度より大きく、また方位角強度の粒子依存性を調べたところ、衝突後0.6 fm/cという極めて短時間に運動学的平衡状態に達したと仮定すると流体力学的模型でよく説明されることがわかった。大きな課題は、この極短時間に平衡状態をもたらした原因である。通常のハドロンの通常の反応ではとても無理である。QGP生成を考えなければ難しい。

(4−2)高い化学平衡温度

RHIC実験ではSPSにおける実験と同様に様々な粒子の収量が測定された。が、その生成比は、熱的化学平衡を仮定した模型で良く説明出来ることが確認された。SPS加速器における実験よりも化学平衡が精度良く成り立っている。そして、化学平衡から得られた温度は約170MeVを超えており高温状態の生成が確認された。ここでも大きな課題は、いったいどんな反応機構が短時間に化学平衡をもたらしたのかということである。通常のハドロンの通常の反応ではとても無理である。いったんクォークとグルオンがばらばらになり、それらがハドロンに再構成(Recombination)されたと考えると説明が付きやすい。クォークとグルオンがばらばらになった状態がQGPである。

(4−3)ジェットクエンチ

以上のようにRHIC実験から数々の興味深い結果が得られているが、なかでも多くの研究者が注目しているのは、金・金衝突では一粒子測定における横運動量分布が変形し、高運動量成分が減少するという現象である。陽子・陽子衝突に比べ4〜5倍もの減少がみつかった。SPS実験では減少する様子は見られなかった。重陽子・金原子核衝突でも陽子・陽子衝突に比べて減少する様子は見られなかった。重陽子・金原子核衝突ではみられないことから、この減少効果は、金・金原子核の反応で作られた反応生成物の影響であることは間違いない。

高エネルギー衝突に特徴的に見られる現象としてジェットと呼ばれる現象がある。これは、ビーム粒子中のクォークとクォークが2体衝突を起こし、その結果、高い運動量のクォークが互いに反対方向に飛び出してくる現象である。もし、このクォークがQGPのような高密度中を通過したらどんなことになるであろうか。ピストルの弾が木の板を通過する場合と、同じ厚さのスポンジの板を通過することを考えると、物質の密度の違いのために、木の板を通過した弾は大きく減速されていることであろう。同様に、金・金衝突では飛び出してくるクォーク(パートン)がQGPのような高密度状態を通過してくる際に、大きなエネルギー損失を起こし、その結果、高エネルギー粒子が少なくなってしまたと考えられるのである。反応生成物とは大きなエネルギー損失を与えるような状態でなければならない。 クォーク(パートン)がQGP中に打ち込まれると、コヒーレントなグルオン放射のために1fmあたり数GeVという大きなエネルギー損失を起こすと理論的に予測されている(Jet Quench効果)。プローブとなる信号は摂動論で記述されるために理論的精度が高く、また極めて反応初期の物質の高エネルギー密度状態の様子を直接探ることができるという際だった利点がある。パートンの特徴的エネルギー損失の研究は、今後のQGPの性質を調べる上で重要な役割を果たすと期待される。

ジェットクエンチを示唆するデータは高運動量粒子の減少だけではない。2体衝突であるジェットはその信号が正反対方向(back-to-back)に現れるはずである。STAR実験の観測によると陽子・陽子衝突では反対方向に飛び出している様子がきれいにみられるが、金・金原子核では反対側に飛び出してくる信号が見えなくなった。反対側に飛び出そうとするクォーク(パートン)は大きなエネルギー損失のために飛び出せなくなったと考えられる。

(5)結論

個人的にはQGP以外で得られたデータを理解することは困難と思っている。 万人が納得するには、まだしばらく時間が必要であろう。CERNの時に重要とされたJ/ψ抑制効果のRHICの結論がまだ出ていないし。 CERN・SPSではQGP生成の尻尾を捕まえたと思われていたのが、 RHICではQGP生成が確認され、その物性を理解することが次の目標として 捕らえることができそうだ。

 筑波大学の高エネルギー原子核実験グループは、科研費・特別研究(代表;三明康郎、H6〜H9)、日米科学協力事業(代表;浜垣秀樹)などの経費を有機的に組み合わせて、クォークグルオンプラズマの実験室における生成とその性質の理解を目指して研究を進めている。